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(講演録)どこまでも奥深い台湾の魅力・現地ライターの取材秘話

3月例会の片倉佳史さんの講演録を作成しました。
暫定版なので間違いもあるかもしれませんが、ご了承ください。

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■私の台湾体験
○台湾に暮らして12年目になる。これまで約60カ国を訪問したが、世界の中でも台湾は独特な空気があると感じている。
○もともと台湾とは何の縁もなかった。2ヶ月間中国大陸を旅していたが、その後、中華航空の航空券が安く、たまたま台北で乗り継ぐことになった。驚いたのが、台湾が同じ中国を名乗っていることだった。それなのに、税関で「中国大陸を回ってきました」と言ったら、怪しまれて厳しく調べられた。こうした体験が台湾に興味を持つきっかけだった。
○台湾の特色をひとつ挙げるとすれば「自分たちと台湾人の区別をあまりしない」ということにある。台湾の人たちは迷っている旅人を手助けしてくれることも多い。こういうところを見ても、台湾という場所は独自の発展した場所だと感じる。

■台湾と日本1 ~地名と台湾総督府~
○台湾では、日本語に接することが多く、日本語のうまい人がたくさんいて驚いた。当時日本は、徹底的に日本語の教育をした。
○台湾は日本にとって初めての植民地で、当時の台湾のありようを見ると、その時の日本がどのような意識を持って植民地の統治・運営を行っていたかがわかる。
○当時の日本政府は台湾に対して、1.反乱軍の鎮圧、2.台湾に関する研究 を行ってきた。
○現在の玉山は、当時は「新高山(にいたかやま)」と呼ばれていた。これは、明治天皇が命名したもので、富士山よりも高い「新しい日本の最高峰」という意味で名付けられた。当時、台湾は植民地というより「日本の一部」として捉えられていたことがわかる。
○また、現在の雪山は、当時は台湾で2番目に高い山ということで「次高山」と呼ばれていた。これは裕仁親王によって名付けられたもの。
○日本政府は、台北に台湾総督府をおいたが、これは東側(日本側)を向いている。もっとも「日本は真東にはなく、東は海ではないか」という人もいるかもしれないが、「日本は東にある」という象徴的な位置づけである。
○台湾総督府の建設において、日本が自国の力量を世界(西洋列強)に見せつけるために西洋建築を作る必要があった。ただし、特定の国の様式に沿った建築物を作っても、その国には勝つことはできない。西洋風でありながら、オリジナルな建築が必要であった。東京駅を設計した辰野金吾を審査員として、1907年に日本政府による設計コンペが催された。これが日本最初の建築コンペといわれている。
○建設に当たり、日本人は正確な仕事をすることで有名だった。時間通りに作業を始めて時間通りに作業を終えるので、当時の台湾人は日本人の作業風景を見て時計代わりにしていたという。また、煉瓦をほとんど無駄に使わず、日本から持ち込んだ煉瓦も、2個しか余らなかったと言われている。

■台湾と日本2 ~日本語の名残~
○当時の日本政府は、台湾人に日本語教育を行った。日本語を常用語としている人や、片言でも日本語をしゃべれる人が多いのはそのため。
○台湾でよく聞く日本語としては「おじさん」、「おばさん」がある。「おじさん」は「おりさん」になまっている。南部・北部でも通用する。また、食堂で皿洗いしている人にも「おばさん」は通じる。
○台湾には客家人がたくさんいるが、彼らの家にいくと「あかーさん」という言葉を聞く。これは、「お母さん」が訛ったもの。
○「あきびん」という言葉も聞くが、本来の意味が転じて廃品回収業者のことを指す。
○「あっさり」という言葉も、日本語とは意味が変わっていて、複雑な状況や無理な状況をすっぱりと解決することを指す。曖昧な態度を取っていると「日本人なんだからもっとあっさりしてよ」と言われたりする。
○「運ちゃん」も一般的。「私は運ちゃんです」と自己紹介で普通に使われたりする。「運ちゃん」という言葉には、日本のようは見下げた意味はない。
○日本語がなまって伝わっている言葉も多い。「おでん」→「おれん」、「ゆび」→「予備」、「めいじ」→「名刺」、「ぺんじ」→「ペンチ」など。
○意味自体が変わってしまったものもある。髪型で「ハイカラ」というと「七三分け」のことを指す。
○「ねえちゃん」は旅館の女中さんに対して、「にいさん」は知らない年上の男性に声を掛けるときに使われる。
○「アニキ」という言葉も使われるが、主に南部地方で子供のリーダー格に対して使われている。
○鉄道関係の人たちの専門用語(?)として、「夜勤」、「あけ」、「脱線」、「オーライ」などがある。

■伝説/昔話/少数民族
○台湾では、原住民が、山の中で集落単位で暮らしている。
○阿里山の鄒(ツオウ)族は、日本人が訪問すると、「マーヤが来た」という。マーヤと鄒族の祖先は兄弟だったが、漢民族に追いやられて離れ離れになったという伝説がある。自分たちの祖先は山に登り、マーヤは北に逃げた。ある木を半分に折って、再会を誓ったという。日本が台湾を植民地統治した際に、鄒族の人たちは「マーヤが帰ってきた」と思ったという。
○日本人は、すね毛や蒙古斑があるが、台湾民族にはそれがない。そうしたところでも民族が判別できる。
○台湾は九州と同じ大きさしかないのに、それぞれの言葉が通じないことが多々ある。隣の村に住んでいる民族の言葉が分からないということもある。
○台湾には原住民族(日本では高砂族という)がおり、村ごとに別々に生活していた。村同士でお互いに恨んでいたりしている中に、日本の警察官が入って、村同士をくっつけたり離反させたりした。一方で、日本が台湾を統治してくれたお陰で、お互いにコミュニケーションできるようになったと評価する人も多い。日本語が「共通語」として民族間のコミュニケーションを促進したことは紛れもない事実。
○植民地統治で異民族がやってきて支配したという事実は、原住民としても気持ちよい話ではないが、文明との接点を作ってくれたのもまた日本だと考えられている。
○昔の少数民族には首狩の習慣があった。野蛮で残虐な行為と見る人もいるが、やらなければやられるし、首を取るのは神聖な行為とされており、必ずしも野蛮なだけとも言えない。当地事態、4000人の日本人の警察官の首が狩られたという。ちゃんとコミュニケーションを取って「怖い存在ではない」ということを分からせれば、首を狩られることもない。
○山岳地方では、日本の警察官が教員を兼ねており、現地人に髪の洗い方や歯の磨き方まで教えており、とても尊敬されていたという。
○こんな伝説がある。ある日本人教師が現地での任期が切れて村を去ろうとしたが、慕っていた村人が反対をして引きとめた。しかし、任務は避けられず教師は村を去ることになった。現地を去る直前、突然その教師が失踪した。捜索したところ、その教師の首が現地人の家に供えられていたという。教師に残って欲しいという思いが首狩りにつながったという事例である。
○良くも悪くも、当時の日本人は使命感に燃えていた。そうした中で現地の人と培われたつながりは否定できない。八田與一氏が造ったダムの近郊を取材していて、「片倉さんは取材をしてくれるが、本当に私たちのことはわからない」と言われたことがある。パートナーとして一緒に働いていないので、彼らと本当に心を通わせることができないという意味だった。
○アミ族には「ありがとう」の言葉が存在しない。協力し合うのは当然のことという共通認識があるから。
○台湾で恩師とその生徒の結びつきは非常に強い。例えば、台湾で先生をしていた日本人が現地を再訪すると、どの家に泊まってもらうかで住民の間で喧嘩が起こったりする。
○かつての日本人がどういう生き方をしてきたのか。台湾人は日本人の生き方を、自分たちの姿に映して返してくれる。
○何か質問をすると、台湾人は必ず全身で受け止めて、全身で返そうとしてくれる。これが自分が台湾にはまったポイントでもある。

■台湾への旅行案内
○現在の台湾は、アメリカの出方次第ですべてが決まる状態。日本人は半世紀に渡って台湾に対して何もしてこなかったのではないか。
○台湾政府は自分たちの文化を知ってもらうことの重要性にやっと気づきはじめている。「台湾の文化をもっと知ってもらおう」と、最近は情報発信にも積極的になっている。
○例えば、交通部観光局は平渓線(へいけいせん)を鉄道ファンの視点から訴えてみてはどうか?ということで「魅惑の平渓線」という日本語のパンフレットを作成した。
○もちろん、故宮博物院はあるが、台湾には「すごいもの」はそれほど多くない。逆に、規模は小さくても面白いものがたくさんある。旅行者に何を紹介すればよいのかというのは悩ましいところ。
○初心者に台湾を知ってもらうことも重要だが、台湾フリークに台湾を知ってもらうことも重要で、この辺のバランスがなかなか難しい。
○台湾新幹線が開通して、高尾まで1時間半で行けるようになった。『台湾新幹線で行く台南・高雄の旅』はそのためのガイドとして執筆した。実際に情報がないと大変で、炎天下に長時間バスを待たなければならなくなったりする。
○台湾に行ったら、ぜひ田舎に行ってしい。東京だけを見て日本を語れないのと同様、台北だけで台湾は語れない。田舎に行って、現地の人たちの当たり前の生活を知ってほしい。
○民進党は地方文化を重視していた。ただし、いざ施設はつくったが展示するものがなく、子供が描いた絵を展示するという状況も起きている。台湾においても、伝統工芸の衰退は問題である。
○台湾という場所は知れば知るほど分からなくなる。前回の選挙のときもそうだったが、台湾の人はなかなか本心を言わないので、分かったようで分からない。本音を知るには、人間関係つくるしかない。
○台湾も台湾人も知れば知るほど奥深い。「12年いて飽きませんか?」と聞かれるが、むしろわからないことがたくさん出てきて、知れば知るほど奥が深い。

■現在の台湾
○台湾人も日本人に負けず劣らず旅行好き。特に、日本への旅行者はとても多い。日本から台湾への渡航者は年間116万人。それに対して、台湾から日本への渡航者年間140万人。台湾の人口は2200万人だからかなり多い。しかも、大半は純粋な旅行で、最近は個人旅行が徐々に増えている。
○特に、台湾人の雪に対する憧れは強く、北海道への観光客は特に多く、北海道を訪れる外国人の6割が台湾人である。北海道に来る台湾人は「やっぱり雪はいい」と口を揃えて言う。ただし、台湾人は飽きっぽいので、3日もすると「飽きた」と言う。短期間の旅行を何回もするのが台湾人の特徴のようだ。
○千歳空港にはたくさんのおみやげを売っているが、多くの台湾人は、迷わず「白い恋人」を買う。賞味期限改ざんの事件があってもあまり気にしていない様子。新しいものには手を出さず、知っているものを買うのが一般的。「なぜ新しいものを試してみないのか?」と質問すると、「自分が食べたことないものをお客さんに食べさせられない」という返事が来る。
○台湾人と一緒にレストラン行くと、いつも同じ場所に連れて行かれ、同じメニューを注文するのも同様の理由による。
○親孝行旅行も流行っており、年老いた両親を連れて贅沢な旅行をするのも普通に行われている。奥さんのご両親を連れてスウェーデン旅行をして、日本円で400万円くらい使ったという話を聞いてびっくりしたことがある。奥さんのご両親に自分の経済力を示すことが重要ということらしい。
○韓国人の旅行者が節約型なのと対照的。韓国人は日本へのツアーで「100円ショップに連れて行ってくれ」と言ったりする。また、韓国人はコチジャン持参したり、普通のお店に入っても「コチジャンはないか?」と聞いたりする。旅行のスタイルに国民性があらわれるようだ。
○現在の日本は、台湾の旅行者にとって必ずしもやさしいとは言えない。情報が不十分なため、北海道を旅した台湾人が極寒の中で長時間電車を待たされたという状況も起きている。台湾人は日本に情報を期待している。日本は台湾からの渡航者に対してもっと情報を出すべきだと思う。
○よく、台湾人は親日感情が強いというが、状況はもっと複雑。日本人がどう関わるかによって、台湾人の意識も変わってくる。
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Q.現在の台湾での使用言語の状況は?
A.国民党はすべてを接収して私物化したが、その中でももっとも価値の高いのは教育機関だった。戦後はすべて学校で北京語が教えられ、学校では北京語しか使えなかった。当時のエリートは日本語を母語としていたが、その孫が北京語しかできないという状況が生まれており、孫と意思疎通するために、「70歳の手習い」で北京語を覚える人たちも出ている。

Q.現在の台湾人の日本人に対する意識は?
A.日本語を学んだエリート層は戦後に不当な抑圧を与えられている。エリートかそうでないかによって感情は大きく異なる。日本統治下で高等教育を受けた人は、日本に対して好感を持っている人が多い。また、庶民層はニュートラルな感情を持つ人が多く、外省人の対日感情は良くないことが多いという傾向がある。

Q.現在の台湾における後藤新平の評価は?
A.判断は難しい。若い人たちには彼の知名度はそれほど高くない。というのも、国民党が彼の業績を隠し続けてきたから。しかしながら、彼が統治していた時代の市場が残っており、現在でも使われ続けているのも事実。彼のスケールの大きい政治家であったことは間違いがない。現在の若い世代の中には、歴史を客観的に学び直して、中立的に彼の業績を評価しようという動きもある。

以上
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